
近年、便利さが極限まで高まった一方で、「なんとなく虚しい」「何をしたいのかわからない」「本当の自分がわからない」という悩みを抱える人が増えています。
僕自身も、忙しくスマホを触りながらふと手を止めたときに、心のどこかで「このままでいいのか」と感じることがありまして。
この感覚の正体は一体何でしょうか。僕はそれが、便利さと娯楽の簡易化によって“自分と向き合う時間”が失われているからだと考えています。
現代は、いつでもどこでも刺激を得られる時代ですよね。
動画、SNS、ゲーム、音楽、ショッピングなど、あらゆる欲求を“ワンタップ”で満たすことができます。
けれどその代償として、「退屈する時間」「考える時間」「感情を整理する時間」が奪われていきました。
つまり、僕たちは「刺激過多の中で、内面を見失った」状態になっているのです。
退屈がなくなった社会
かつて「退屈」は、人間にとって自然な時間でした。
スマホもYouTubeもない時代、人はぼんやり空を眺めたり、道を歩きながら考え事をしたりしていました。
その時間の中で、自分の感情や思考に触れることができたのです。
ところが今では、退屈を感じる間もなく、指先一つであらゆる娯楽にアクセスできます。
退屈した瞬間、僕らは無意識にスマホを開き、SNSや動画アプリを立ち上げます。
“考える暇があったら、刺激を得る”という習慣が身についてしまったとも言えるでしょう。
この結果、僕らは「退屈=不快」「考える=面倒」と感じるようになり、自己理解の機会を自ら手放しているのです。
現実逃避の簡易化
現実逃避は、もともと誰にでもある自然な防衛反応です。
辛いことがあれば一時的に気を紛らわせる。
それ自体は悪いことではありません。
しかし現代の問題は、逃げることがあまりにも簡単になりすぎたことにあるのです。
スマホを開けば、無限の情報と娯楽が押し寄せます。
SNSで「いいね」をもらえば承認欲求が満たされ、YouTubeでお気に入りの動画を観ればドーパミン(快楽ホルモン)が放出されます。
このように、ほんの数秒で現実から目をそらすことができてしまい、その結果、自分と向き合う前に逃げる癖がつくのです。
たとえば落ち込んだとき、昔なら「なぜ自分はこんなに落ち込んでいるのか」を考える時間がありました。
でも今は、スマホを開けば気分を紛らわせることができる。
一見「気分転換」のようですが、実際には「感情の置き去り」でしかありません。
やがて心の奥に、未処理の感情が積もり続け、慢性的な虚無感や自己喪失感へとつながっていくのです。
森田療法が示す「刺激を減らす意味」
神経症や不安障害の治療法として知られていますが、その核心は非常にシンプルです。
それは、「感情を消そうとせず、あるがままに受け入れる」ということ。
森田療法では、初期段階で「絶対臥褥(ぜったいがじょく)」と呼ばれる静かな環境に置かれ、刺激を極限まで減らします。
テレビもスマホもなく、ただ自分の感情や身体感覚と向き合う。
最初は苦痛ですが、やがて自分の中にある不安や欲求を冷静に観察できるようになります。
これはまさに、「退屈や刺激のなさ」が心の回復を促すことを示しています。
刺激が多いほど、私たちは感情を感じる前に逃げてしまう。
刺激が少ないほど、感情と正面から出会える。
森田療法の原理は、現代人に最も欠けている「静けさ」と「内省」を取り戻すヒントになるのではないでしょうか。
「何もしない時間」が心を回復させる
では、便利さに囲まれた現代でどうやって自分と向き合えばいいのか。
僕が意識しているのは、「何もしない時間」を意図的に作ることです。
たとえば
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スマホを置いて10分間、ぼーっとする
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公園やカフェで、あえて音楽を聴かずに過ごす
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夜、寝る前に「今日どんな感情を感じたか」を思い出す
最初は落ち着かないかもしれません。
しかし、しばらく続けるうちに、自分の思考や感情の流れが見えてきます。
焦りや不安、寂しさといった、普段は刺激に埋もれて見えない心の声が浮かび上がってくるのです。
この時間は、言うなれば「精神的デトックス」です。
情報の洪水から一歩引いて、自分のペースで思考を取り戻す。
これを繰り返すことで、少しずつ「自分の軸」が整っていくのです。
現代人に必要なのは「空白を恐れない力」
僕たちはいつの間にか、「空白」を恐れるようになりました。
SNSを見ない時間、通知が来ない時間、予定のない休日。
何かしていないと「取り残される」「無駄にしている」と感じてしまう。
でも実際には、空白こそが自分を再構築する時間です。
空白がなければ、新しい発想も生まれず、心の声も聞こえません。
便利さが進めば進むほど、僕たちは「不便さ」を意識的に取り戻す必要があるのだと思います。
それは、スマホを手放すことでも、SNSをやめることでもありません。
「刺激から距離を置く勇気」を持つことなのです。
まとめ
便利さは悪ではありません。
むしろ、僕たちの生活を豊かにしてくれる素晴らしい発明です。
ただしそれは、外側の豊かさであって、内側の豊かさではありません。
心の豊かさは、効率の中には存在しなく、立ち止まり、考え、感じ、迷い、苦しむ中で育まれるものです。
僕たちはもう一度、「自分と向き合う」という最も古くて最も人間的な行為を取り戻す必要があるのではないでしょうか。
それは、AIでもアプリでも代替できない、唯一無二の“人間の営み”なのです。
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