
過去の出来事を何度も思い返してしまうのか
気づけば、同じ出来事を何度も思い返していませんか?
「あのとき、ああしていればよかった」
「なんであんなことを言ってしまったんだろう」
頭では「もう終わったこと」だとわかっていても、心が何度も巻き戻してしまう。
それが“後悔”という心の反芻です。
僕も長い間、過去に囚われて生きてきました。
夜になると当時の光景がフラッシュバックして、何度もため息をつきながら「やり直したい」と願っていました。
でも、あるとき気づいたんです。
後悔とは「出来事をやり直したい」わけではなく、「出来事で失った安心を取り戻したい」だけなんだと。
- 過去の出来事を何度も思い返してしまうのか
- 後悔の正体は「出来事の受け入れ拒否」
- 欠乏学的に見る「後悔」の構造
- 受け入れられないのは「欠乏を感じるのが怖いから」
- アダルトチルドレンの後悔が深い理由
- 人間関係の後悔に潜む孤独の構造
- 受け入れるとは「欠乏を抱きしめること」
- 後悔を癒す3ステップ
- 後悔は「思考」ではなく「感情」で癒すもの
- 僕が後悔を手放せた瞬間
- まとめ
後悔の正体は「出来事の受け入れ拒否」
後悔とは、「あの出来事を受け入れられない心の状態」です。
例えば
-
失敗して怒られた
-
好きな人に冷たくしてしまった
-
誰かに誤解された
そうした過去を何度も思い返すのは、「もう二度とあんな思いをしたくない」という防衛反応です。
でも本当のところ、僕たちが避けようとしているのは“出来事そのもの”ではなく、その出来事によって生まれた欠乏感(=心の穴)なんです。
欠乏学的に見る「後悔」の構造
欠乏学の視点から見ると、後悔はこう整理できます。
後悔とは、出来事に伴って生まれた欠乏を回避しようとする思考。
具体的にはこうです
| 出来事 | 欠乏の正体 | 後悔の思考 |
|---|---|---|
| 失敗して怒られた | 承認の欠乏(自分は価値がない) | 「あの時、もっと頑張ればよかった」 |
| 傷つけてしまった | 所属・愛の欠乏(嫌われた) | 「あんなこと言わなければよかった」 |
| 誤解された | 安全の欠乏(見捨てられる不安) | 「どうして上手く説明できなかったんだろう」 |
つまり、僕たちは後悔することで「欠乏を取り戻そう」としているのです。
でも、思考で欠乏感を埋めることはできません。
なぜなら、欠乏感は思考ではなく感情だからです。
受け入れられないのは「欠乏を感じるのが怖いから」
「出来事を受け入れる」とは、その出来事に紐づく感情をまるごと感じることです。
でもアダルトチルドレンの場合、そこには“恐怖”が伴います。
幼少期、感情を表現したときに「泣くな」「そんなこと言うな」と否定された経験。
孤独や無力感を抱えたまま誰にも助けてもらえなかった経験。
それらの記憶が、「感情を感じる=危険」という信号を出しているのです。
だから、出来事を思い返すとき、心は欠乏の痛みを避けるように思考の中で反芻を始めます。
つまり、後悔は「欠乏を感じないための思考的防衛」なんです。
アダルトチルドレンの後悔が深い理由
アダルトチルドレンにとって、「後悔」と「孤独回避」はほぼ同義です。
幼少期に、「誰も助けてくれなかった」「理解してもらえなかった」
そんな経験をした人は、「またあの孤独を感じたくない」という無意識の防衛を持っています。
後悔はその防衛の一形態。
「次はこうしよう」
「もっと頑張れば大丈夫だったのに」
この思考は、孤独を感じないようにする自己制御なのです。
でも、そのコントロールを強めるほど、現実からは離れ、心は閉じていきます。
結果的に、後悔が深まるほど“孤独”は増していくのです。
人間関係の後悔に潜む孤独の構造
たとえば、こんな経験はありませんか?
「あのとき、あの人に素直になれなかった」
「もっと感謝を伝えておけばよかった」
これらの後悔の裏には、「もうあの人とはつながれない」という孤独の痛みがあります。
でも僕たちは、その痛みをまっすぐ感じるのが怖い。
だから、「こうすれば良かった」と“条件付きの思考”で安心を取り戻そうとするのです。
しかし、欠乏は条件では満たせません。
「もし〜だったら」は、いつまでも過去を条件化し、“今ここ”の自分を生きる力を奪っていきます。
受け入れるとは「欠乏を抱きしめること」
出来事を受け入れるとは、その中で失ったと感じた「愛」や「つながり」や「安心」を
もう一度、自分の中に取り戻すことです。
それは「もうあの時の自分を責めない」という決意でもあります。
僕は、過去の自分を許せなかった時期がありましたが、こう言葉をかけるようにして少しずつ癒されていきました。
「あの時の僕は、あれが精一杯だったんだ」
「あの時、誰にも頼れなかっただけなんだ」
「あの痛みの中で、よく生き抜いたね」
“受け入れ”とは、過去を正当化することではなく、「その時の自分を理解してあげること」なんですね。
後悔を癒す3ステップ
ステップ1:気づく
「また過去を思い返しているな」と気づくこと。
反芻思考は無意識の自動運転なので、まずは意識に上げることが大切です。
ステップ2:感情を特定する
「あの時、何を失ったと感じたのか?」を丁寧に言葉にします。
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愛されたかったのか
-
理解されたかったのか
-
安心したかったのか
ここを見つめることで、「欠乏の正体」が明らかになります。
ステップ3:再養育する
見つけた欠乏に対して、今の自分がもう一度与え直す。
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「あの時の僕は、精一杯頑張ってたよね」
-
「あの時の自分を、今の僕が守るよ」
過去を変えるのではなく、過去の自分に“寄り添い直す”ことで、ようやく欠乏は癒されていきます。
後悔は「思考」ではなく「感情」で癒すもの
多くの人は後悔から抜け出そうとして、ポジティブ思考や自己啓発的な言葉で上書きしようとします。
でも、それは欠乏の「上塗り」にすぎません。
本当の癒しは、感情の受容によってのみ起こります。
感情を感じることは痛みを伴います。
でも、その痛みを感じきったとき、初めて「もう終わったこと」と心が理解します。
僕が後悔を手放せた瞬間
僕が初めて後悔を手放せたのは、「あのとき誰も僕を理解してくれなかった」という孤独を正面から受け入れた時でした。
ずっと「もっと上手くやれたはず」と思っていたけれど、実際は「誰かに助けてほしかった」だけだったんです。
その気づきとともに、涙が止まりませんでした。
そしてようやく、「あの時の僕」を抱きしめることができた。
後悔が消える瞬間とは、“過去の自分を責める視点”が、“理解する視点”に変わる時です。
まとめ
もう一度、整理します。
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後悔は、出来事ではなく「欠乏」を回避する防衛反応
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出来事を受け入れられないのは、欠乏を感じるのが怖いから
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アダルトチルドレンの後悔の正体は「孤独回避」
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癒しの鍵は、感情を感じきり、過去の自分を抱きしめ直すこと
後悔は、あなたの心がまだ癒されていないサインです。
つまり、「自分をもっと大切にしたい」という成長の兆しでもあります。
過去を思い返すたびに、「なぜこんなに後悔するのだろう」と責めるのではなく、「それほどまでに、あの時の僕は寂しかったんだ」と理解してあげてください。
後悔は、あなたが“まだ自分を見捨てていない”証拠です。
そして、その痛みを超えた先にしか、本当の自己受容と自由はありません。
過去を受け入れるとは、「もうあの時の自分を責めない」と決めること。
後悔は、あなたの心が“癒しを求めている”メッセージです。
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