
欠乏学を広めている僕にとって、「欠乏」という言葉は非常に重要な言葉です。
欠乏がすべてを変えると言っても過言ではないと思っているくらい、人生において本質的な要素だと考えています。
さて、いきなりですが、欠乏を英語で何というか知っていますでしょうか?
答えは Lack です。
「なるほど、そう言うんだ」という感じですよね。
そしてもう一つ、似た言葉に Luck があります。
これは「幸運」という意味合いで使われます。
この二つの単語。
わずか一文字の違いですが、意味は正反対のように思えます。
しかし僕は、この「Lack」と「Luck」の関係性こそ、人生における欠乏と幸運のつながりを象徴しているのではないかと考えるのです。
欠乏と幸運は紙一重
LackとLuck。
文字が紙一重であるように、実際の欠乏と幸運もまた紙一重です。
欠乏というのは、不足している状態。
決して幸運とは言えません。
むしろ人を苦しめ、足を止め、心を重くするものです。
しかし一方で、欠乏がなければ人は成長を志しません。
欠乏があるからこそ、欲求が生まれ、欲求があるからこそ、行動が起こります。
つまり欠乏は、幸運へと向かうための出発点なのです。
欠乏がなければ、人は挑戦もしなければ努力もしません。
現状に甘んじ、何も変わらないままです。
逆説的ですが、欠乏があることこそが「人生を動かすエンジン」になっています。
欠乏があるからこそ生まれる可能性
例えば「お金が足りない」という欠乏があるからこそ、人は働き方を模索します。
時には新しいスキルを身につけたり、副業を始めたり、ビジネスを立ち上げたりする。
そこから思わぬ成功や出会いにつながり、「幸運」と呼べる状況が生まれるのです。
また、「人とのつながりが欲しい」という欠乏は、孤独を生みます。
しかしそれは同時に、他者との関係を大切にしようという意識を芽生えさせます。
その気持ちが強いからこそ、深い友情や愛情に恵まれやすくなる。
これもまた、欠乏が幸運を引き寄せている瞬間です。
つまり、欠乏は幸運の芽のようなもの。
芽のまま放置していれば枯れてしまいますが、きちんと向き合い、育てることで豊かな実を結ぶのです。
欠乏を「不幸」とだけ捉えない
多くの人は「欠乏=不幸」と考えてしまいます。
たしかに、欠乏そのものは苦しいものです。
しかし、そこに意味を見出すことができれば、欠乏は不幸の象徴ではなく「成長のサイン」へと変わります。
欠乏を「ただの不足」として受け止めるのか、それとも「未来への可能性」として受け止めるのか。
この解釈の違いこそが、人生を大きく分けてしまいます。
心理学的に見ても、欠乏動機は自己実現動機へとつながります。
欠乏があるからこそ、自分を満たす方向へ歩み始める。
その道のりのなかで、人は精神的に成熟し、結果的に「幸せ」と呼べる状態に近づいていくのです。
幸運は欠乏の延長線上にある
欠乏を感じるとき、多くの人は「こんな状態が続くなんて不運だ」と思うでしょう。
しかし、実際にはその欠乏をどう扱うかによって、未来は大きく変わります。
欠乏に対して逃げるのではなく、向き合い、工夫し、成長の糧にする。
その積み重ねの先にあるのが「Luck=幸運」です。
つまり、幸運は空から降ってくるものではなく、欠乏をきっかけに自分で掴み取るものなのです。
まとめ
「Lack to Luck」。欠乏と幸運は紙一重です。
欠乏は苦しみであると同時に、幸運への入り口でもあります。
欠乏を単なる不足として拒絶するのではなく、成長の種として受け止めてみてください。
そこから見える景色は大きく変わるはずです。
人生において欠乏は避けられません。
しかし、欠乏を正しく扱うことができれば、それはあなたにとっての最大の幸運に変わっていくのです。