
「大人なんだから我慢しよう」
そう言われたこと、聞いたことがある人は多いと思います。
かつて私も職場の先輩からこの言葉を聞き、そのときは「なるほど、大人はそうあるべきなのか」と納得したものです。
しかし年月が経った今、私ははっきりとこう思います。
「我慢は大人の行為ではない」と。
この記事では、なぜ我慢が「大人らしさ」と誤解されてきたのか、そして真に大人になるためにはどのような精神的成熟が必要なのかを、具体例を交えながら掘り下げていきます。
なぜ人は我慢をするのか
まず整理しておきたいのは、我慢そのものが悪いわけではないということです。
確かに、目の前の相手にカッとなった感情をぶつけず、一度飲み込む。
これは人間関係を保つために必要なスキルでもあります。
例えば:
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夫婦関係
「今日は疲れているから家事をしたくない。でもパートナーに嫌な顔をされるのは避けたいから、黙ってやってしまおう」 -
職場
「上司の理不尽な要求に納得はいかない。でも言い返したら評価が下がるから、我慢して従っておこう」 -
友人関係
「行きたくない飲み会。でも断ったら嫌われるかもしれないから、無理して参加しよう」
こうした場面に、我慢は常に顔を出します。
要するに、我慢は「社会に適合するための一時的な対処療法」なのです。
我慢が生まれる心理的な正体
では、なぜ私たちは我慢を選んでしまうのか。
ここに登場するのが「欠乏感」という視点です。
欠乏感とは、「本当の自分のままでは受け入れてもらえない」という心の飢え。
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孤独を恐れる欠乏感 → 「嫌われたら生きていけない」
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承認を求める欠乏感 → 「役に立たなければ価値がない」
この欠乏感が強いとき、人は「本当の自分」を出すことに不安を覚えます。
その不安を打ち消すために取るのが「我慢」です。
つまり、我慢とは欠乏感から生まれる「自己否定的な適応行為」なのです。
我慢の代償
ここで大切なのは、我慢が短期的には人間関係を円滑にしても、長期的には大きな代償を生むということです。
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我慢を重ねるほど、「本当の自分を出すのは危険だ」という無意識の思い込みが強まる。
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その結果、自己否定感が深まり、常に他人に合わせる「偽りの自分」でしか生きられなくなる。
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心の奥底には「本当はこうしたかったのに」という不満が積もり、やがて爆発する。
例えば夫婦関係で、片方が我慢し続けた結果、ある日突然「もう限界!」と離婚に発展することもあります。
職場でも同様に、不満をため込みすぎた社員が心を壊し、退職に追い込まれるケースもあります。
我慢は確かに「楽」です。
相手に合わせて「はい」と言えばいいだけですから。
しかしそれは、未来の自分にツケを回しているだけだということを忘れないでほしいのです。
真に大人な努力とは何か
では、我慢に代わる「正しい努力」とは何でしょうか。
それは、我慢しなくてもよい人間に成長することです。
精神的に成熟すると、相手を利害関係で見るのではなく、自然と「相手のために生きたい」と思えるようになります。
そのとき、そこに無理はありません。
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我慢:利己的な自分を抑え、偽りの利他的自分を演じる行為。
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成熟:本当の自分が、利他的に生きることを望める状態。
違いは明白です。
我慢は「演技」ですが、成熟は「自然な自己表現」なのです。
我慢から成熟へ移行する方法
では、どうすれば我慢を超えて成熟に向かえるのでしょうか。
ここで役立つのが「欠乏感への向き合い方」です。
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気づく
「いま自分は欠乏感から我慢している」と意識する。
(例:飲み会に行きたくないけど、嫌われるのが怖くて我慢して行こうとしている) -
受け入れる
「本当は行きたくない」という感情を否定せずに認める。
(我慢すること=大人、という刷り込みを外す) -
選択する
相手の立場を主体で考え、「相手が得をして、自分も納得できる選択肢」を探す。
(例:「今日は難しいけど、また別の日に誘ってね」と伝える)
このプロセスを繰り返すことで、我慢が「苦しい抑圧」から「愛の選択」へと変わっていきます。
エーリッヒ・フロムが言ったように、愛は技術です。
我慢を手放し、愛する技術を練習することで、私たちは本当の意味で大人になれるのです。
まとめ
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我慢は「大人の行為」ではなく、欠乏感に基づく一時的な適応である。
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短期的には人間関係を保つが、長期的には自己否定感を強め、心を蝕む。
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真に大人な努力とは、我慢せずとも相手を思える「精神的成熟」を目指すこと。
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成熟とは「本当の自分が相手のために生きたいと思える状態」であり、それは愛の技術によって育まれる。
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日常の我慢の場面を見直し、「相手の立場を考えつつも、自分の本音を尊重する選択」を積み重ねることが第一歩になる。
あなたはこの先も「楽だから」と我慢を続けますか。
それとも、一度きりの人生を「成熟」という道に舵を切って進みますか。
選ぶのは、あなた自身なのです。
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