欠乏学:欠乏感とは「生命維持機能」である

不幸とは欠乏感である

すべての不幸の根源は欠乏感にあります。

怒り、悲しみ、不安、嫉妬、虚無、焦燥…これらネガティブな情動の源泉を掘り下げると、共通して「何かが足りていない」「満たされていない」という主観的な危機感=欠乏感にたどり着きます。

例えば、それは「愛されていない」「認められていない」「お金がない」「お腹が空いている」といった具体的な不足感。

この前提に立つことで、あらゆる苦しみを構造的に説明・扱う視座が生まれるのです。

欠乏学はこの「欠乏感こそが不幸の本体である」という認識から出発する心理的アプローチ方法です。

 

 

 

 

欠乏感とは何か

欠乏感とは、「自分にとって必要なものが不足している」という主観的な不足感・喪失感を指し、欲しいのに手に入らない、満たされない、報われない…といった欠如の感情として現れます。

心理学では、欲求が満たされないときの動機づけの源泉として扱われることが多いです。

例:承認されない → 不安 → 承認欲求に基づいた行動を起こす

マズローの欲求階層

マズローによる人間の欲求階層は以下の通り

  1. 生理的欲求(食事、睡眠などの基本的生命維持)

  2. 安全の欲求(物理的・心理的な安定)

  3. 所属・愛の欲求(つながり、受け入れ)

  4. 承認欲求(価値の実感、尊敬)

  5. 自己実現の欲求(可能性の開花、創造)

人は1から4の順に欠乏感を満たしていき、最終的に5で欠乏欲求を手放し自己実現的に生きることが出来るといわれています。

欠乏学は、このマズローの構造を土台としながら、そのすべての階層を「欠乏感の発現順序」として捉え直します。

欠乏感=生命維持機能という新仮説

欠乏感とは、生命の存続を脅かす要因を主観的に察知し、行動を促すための機能です。

例えば、貧困状態を放置すると死に至る可能性が高まる。

故に欠乏感が生命維持機能としてアラートの役割を果たし、そのままでは死んでしまうというメッセージを発しているのです。

つまり、欠乏感は「感じたくない不快な感情」ではなく、生きるために必要なシステムであり、飢餓と同じような自然な反応であると言えます。

また、欠乏感は外部環境によるものだけでなく、認知・記憶・意味づけによって増幅・変質される場合もあります。

それは例えば、同僚からの評価は高いのに、過去に低い評価をされてきたせいで「自分は全然できていない」と思ってしまうことのような話です。

欲求階層の新解釈

欠乏感が生命維持機能だという仮説に基づくと、欠乏感が生まれる理由が見えてきます。

  1. 生理的欲求:最低限の生命維持活動

  2. 安全の欲求:最低限の生命維持活動の安定化

  3. 所属・愛の欲求:孤独の回避

  4. 承認欲求:社会からの淘汰の回避

第一段階の生理的欲求として、個体の生命活動を維持したいという欲求が生まれ、第二段階の安全の欲求として、その生命維持活動を安定化させ、個体が生き延びる可能性が高い環境を求めるようになります。

こうして個体の生命活動が安定化すると、社会性のある生き物である人は社会での生存戦略を求め始めます。

それが第三段階の所属・愛の欲求で生まれる孤独の回避です。

人は一人では生きていけないため、群れで生きることを必要とします。

群れで生きていくには、孤独を避けなければばらないため、人は社会に所属し、愛されることを強く望むようになっていき、群れに所属すると、その群れに所属し続けることでより安定して生命維持をしようとするのです。

そこで発現するのが、承認欲求であり、社会からの淘汰を避けるための欲求です。

 

そしてこれらの欠乏感を満たす方法は2つの方向性があることも抑えておきたいところです。

1つは外的充足。

他者や環境と言った自分以外のものからそれを得ることで欠乏感を満たそうとするのです。

そしてもう1つが内的充足。

外的充足に対するように自分自身の力で自分を満たそうとするのがこの内的充足です。

外的充足は、充足のコントロールが自身では出来ないため、内的充足が望ましいという考え方の元、欠乏学では、この充足の源泉に焦点を当てた対処方法を考案しています。

具体例を明示すると、親に養ってもらうという行為が外的充足であるとすると、自分でお金を稼ぐという行為が内的充足に当たるというようなものです。

① 外的充足(依存):他者・制度・環境による充足

② 内的充足(自立):自己による受容・統合・変容

欠乏学の実践的意義と生き方への示唆

現状我々が不幸なのは、欠乏状態を恐れるあまり欠乏に抗い、欠乏から逃げ続ける人生を送っているからです。

そこで、欠乏感に振り回される人生ではなく、欠乏感を受け容れ、扱える人生を目指すことが大切になってくると言えます。

つまりは、欠乏感から動く(=欠乏動機)状態から、自己の充足感から動く(=自己実現動機)状態を目指していくことが、本当の意味での幸福の追求なのです。

そしてそのために必要なのは、欠乏感は克服するものではなく、統合し、共に生きる対象であることを理解すること。

 

そのための道は、以下の順序を必要とします。

欠乏感 →依存→ 自立 → 自己実現

 

他者を介在して欠乏感を満たす「依存状態」では、自身の欠乏感を満たす術を自身でコントロールできません。

それ故に求められるのは、欠乏感の自己完結。

欠乏感に向き合い、自分の力でそれに応答する力を培うこと、即ち自立が求められるのです。

そして自立をし、自分の欲求を自分でコントロールできるようになったとき、はじめて「何を生み出したいか」という創造的意志が芽生えます。

それが自己実現なのです。

 

 

 

欠乏学とは何か?

欠乏学とは、「あらゆる不幸の源である欠乏感を、生命維持機能として再定義し、その構造・段階・向き合い方を体系化することで、精神的自立と幸福を実現するための実践的哲学」です。

 

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