不安や悩みのない人生に。

欠乏感を解消して、ありのままの自分で生きよう。

自分らしく生きたいのに苦しい…その原因は“他者への迎合”かもしれない

「自分らしく生きたい」

よく聞く言葉ですし、そう願っている人は少なくないでしょう。


僕自身、昔は自分らしく生きている実感がなく、どこかで「この生きづらさから抜け出したい」と感じていました。


でも、いざ「自分らしさって何?」と考えると、意外と分からない。

だって、選んだ道も行動も全部“自分”が選んできたはずだから。


そう思えば思うほど、「じゃあ、自分らしい人生って何なんだろう」と迷ってしまうものです。


ただ、もし今「生きづらさ」を感じているとしたら、それは“自分らしさ”からズレているサインかもしれません。


この記事では、「自分らしく生きる」とは何か?

その第一歩として「他者への迎合をやめる」ことについて、お話しします。

ぜひ最後まで読んでみてください。

 

 

 

自分らしく生きるとは、他者への迎合をやめること

自分らしく生きるというのは、他者への迎合をしないということです。

 

迎合というのは、自分の考えを曲げてでも他人の意見に従って、気に入られようとすることを意味します。

 

そういった生き方をしているうちは、自分らしく生きることはできない。

それをまずは理解し、自分はそういった生き方をしていないかを、自分の胸に手を当てて思い返す必要があるのです。

 

では迎合した生き方とはどんなものでしょうか。

例えば、友人が中華を食べたいと言ったとき、本当は和食が食べたいのに、「中華がいい」と言ってしまうようなこと。

 

好きな人が、山が好きと言う。

あなたは海が好きなのだけれど、そこで海が好きと主張せずに私も山が好きと同調してしまうということ。

 

相手を思いやることと、自分を犠牲にして合わせることは似て非なるものです。

そこに相手への配慮ではなく、恐怖心が原動力となっている場合、それは迎合と言えるでしょう。

 

それもあなたなりの生き方

あなたが他人に迎合する生き方をしてきたとして、それはただ意味もなくしているのではありません。

 

きちんと意味があって、する必要があるからやっているのです。

 

だから、他人に合わせてしまう自分を否定したり、責めたりするのはやめましょう。

 

それは、自分を守るためにやっていた行為です。

あなたなりの生存戦略として、あなたが無意識に選択していた、あなたのための行為なのです。

 

あなたが他人に合わせてきたのは、「自分にとって大切な何かを失いたくない」という思いがあったからです。

それは、安心だったり、好かれているという感覚だったり。  

迎合とは、そうした“欠けたくないもの”を守るための行動だったとも言えます。

 

迎合してまで欲しいものは何か

あなたがこうした生き方を選択してきたとしたら、その迎合によって何を得ようとしていたかを考えてみることです。

そしてそれは、何かを失わない安心感なのではないでしょうか。

 

あなたが好きな人に迎合してしまうとしましょう。

そこには、その人の好意を失いたくないという「欠乏感」があるのです。

 

こんなことを言ったら嫌われる。

こんなことを言ったら悪く思われる。

 

そういった失うことに対する恐怖心が、あなたが自分らしさを手放す方向へと突き動かすのです。

 

過去の僕も、社長やオーナーの発言に迎合的で、自分の思っていることは横において同調を優先していました。

 

それはやはり、雇用主という立場の人に嫌われてしまうと、生活が危うくなると感じていたから。

職を「欠乏」することを恐れていたから、無意識的にも自分よりも上の立場である雇用主に迎合してしまっていたのです。

 

僕たちは、失うことを避けたい。

迎合をすれば相手に嫌われることはなく、欠乏は避けられる。

ただ、そうしていった先にあったのは、自身の喪失、自己欠乏だったのです。

 

迎合を手放すために

迎合を手放すということは、言い換えれば、「自分自身を取り戻す」ことです。

 

僕たちは長いあいだ、他人の期待や評価に合わせて自分を押し殺してきました。

その結果、自分が何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなってしまった。

だからこそ今、自分の本音に少しずつ耳を傾け、その声を大切にしていく必要があるのです。

 

そのためには、相手の好意を失うことに対する恐怖に打ち勝つ必要があるのです。

 

相手の好意を失うと、何かが起きる。

それは、自己価値を失うことかもしれないし、お金を失うことかもしれないし、安心感を失うことかもしれない。

 

相手の好意の先に得ているものを、失いたくないと思うからこそ、僕たちは相手の好意を失うことを避けてしまう。

 

だからその「好意の先にあるもの」を失っても生きていけると、その対象に依存する気持ちを手放す必要があるのです。

 

考えてみてください。

本当にそれは失ったら人生が終わるほどのものでしょうか。

 

好きな人に嫌われる。

確かに悲しいし、ツラいのは理解できますが、その人に嫌われたからといって、あなたの人生が終わるわけではありません。

 

あなたに価値を感じてくれている人は他にもいますし、その人がいなくても人生は進んでいく。

 

依存心がその重要性を大きく見せていますが、実際にはそこまで大きいものではないのです。

 

仕事も一緒で、クビになったら終わりだと思っていても、実際は終わりじゃない。

あなたがまた働ける場所はたくさんあるのだから、クビになったら別の企業に移れば良いだけなのです。

 

それを失うことを恐れないでください。

他にも常に選択肢があるということを、心の片隅に置いておいてください。

 

人生というのは、あなたが思っている以上に、特定のものがなければ生きていけないなんてことはないのです。

 

あなたの迎合を引き起こしている欠乏感は、それを失う覚悟を持つことで乗り越えられるのです。

 

 

 

まとめ

自分らしく生きることは、他者に迎合しないことから始まります。

でも、私たちは迎合してしまう理由を持っていて、それは欠乏への恐れや不安からきています。

だからこそ、迎合してしまう自分を責めるのではなく、「なぜそうしてきたのか?」を理解し、少しずつ手放していくことが大切です。

 


他人に嫌われることを恐れて、本当の自分を抑え込むことは、自分自身の価値を見失うことにつながります。

迎合の先にある「安心」や「好意」を失っても、あなたの人生が終わるわけではありません。

失っても大丈夫。

自分らしくいられることこそが、あなたにとって最も豊かで幸せな生き方です。