「なんとなく苦しい」。
理由は分からないけれど、ふとした瞬間に心が重くなる。
そんな感覚を抱えていませんか?
でも僕たちは意外とその正体に気づけていないことも多くて。
漠然とただただ苦しいなぁと感じるだけで終わってしまっているのです。
どうでしょう?
あなたにも、未解決の苦しみ、モヤモヤがあるのではないでしょうか?
きっと、どうしたら解決できるのかが分からないというのが本音の部分だと思います。
そこで今回は、そんなあなたに一つの可能性として提示したいものがあります。
それが、今回のメインテーマである「手段の目的化」です。
難しそうに聞こえるかもしれませんが、「手段の目的化」とは簡単に言えば、“本当の目的を見失って、手段にとらわれてしまうこと”。
例えば「ブログを書くこと」が目的になってしまって、「何のために書くのか」が抜け落ちてしまう。
そんな状態のことを言います。
あなたが今苦しいとしたら、もしかしたら手段を目的化してしまっているから苦しくなってしまっているのかもしれません。
なんとなく自分にそんなところはないかと考えながら、この記事を最後までご覧いただければと思います。
手段と目的
僕たちは常に目的を持っています。
それは些細なものから目的らしい目的まで様々な形があったりします。
例えば、お腹が空いたからお腹を満たすというのも目的ですし、カンボジアの人を幸せにするためにカンボジアに学校を建てるというのも目的です。
このように、常に僕たちは生活の中で、目的を持って生きているんですね。
そしてその目的を満たすために手段がある。
手段とは目的を達成するためのものであり、本来であれば目的にはなり得ないのです。
ですが、僕たちが苦しむ裏側には、手段の目的化が起こっている。
どうしてそうなるかというと、目的化した裏に「真の目的」が隠れているからです。
真の目的
手段の目的化の裏には「真の目的」というものが隠れていますと言われてもしっくりこないと思うので、例を見ながら考えてきましょう。
結婚を例にしてみましょう。
結婚とは本来「好きな人と人生を共に歩み、家庭を築き、最後まで添い遂げる」という目的を果たすための手段です。
ところが、現実には「好きな人と人生を歩む」という本来の目的を置き去りにして、「結婚したい」という思いだけが先行してしまうことがあります。
これが、手段の目的化です。
この現象は、裏に別の目的が存在することで起こることなのです。
その目的は様々だとは思うのですが、世間体を気にして結婚したいのかもしれないし、結婚しない自分には価値がないと感じているのかもしれないし、子どもを持てない未来が怖いのかもしれない。
どんなものかまでは分かりませんが、手段の目的化の裏には、こうした真の目的が隠れているんですね。
もう1つ例を挙げてみましょう。
僕は手段としてブログを書いていますが、目的は「心の問題を解決してみんなが自己実現的に生きられる世界を作りたい」と思っているからです。
ブログを書くというのは、あくまでこの目的を達成するための手段でしかないはずです。
なのですが、ときたまこの手段が目的化することがあります。
いつしか「ブログを書かないと」という焦燥感や罪悪感が生まれてきてしまうのです。
ではそれがなぜ起こるのかといえば、その裏には、ブログをたくさんの人に見てもらうためにもたくさん投稿しなければという真の目的があります。
この目的が強くなってしまうと、どうしても目的がズレていって苦しくなってしまうんですね。
どんな手段の目的化にしろ、それが起こるということは、その背景には必ず真の目的
が隠されているのです。
あなたなりの努力でもある
「もしかしたら自分もそうかも」と感じた人もいるかもしれません。
ただ、そういう生き方がダメだとか、自分を責めなさいという話ではないんです。
人はみな手段の目的化をしてしまいがち。
どうしたって、自身が抱えている欠乏感や恐怖心を満たすために、手段は目的化されてしまうものなのです。
それはあなたなりの、より良く生きるための努力でもあるんです。
自分に足りないものを満たすために、不安要素を満たして将来をより良く生きるために、あなたが選択した方法が、たまたま手段の目的化だったということ。
だからまずは自分を否定せずに、あくまでそういう選択をしたんだと、そのまま受け止めてあげて欲しいのです。
ただ、それがもしかしたら苦しい選択になってしまっている。
だとしたら、別の選択をしてみてもいいんじゃないっていうのが、今回伝えたいことなのです。
やりたいことがやらなければならないことへ
まず、手段が目的化しているのをどうやって見分けるかという話をしておきましょう。
ここでカギになるのが、その目的に「義務感」があるかどうかということです。
つまりは、「やりたい」のか「やらなければならない」のかということです。
結婚もブログを書くというのも、ただやりたいだけだったら好きな時に結婚すればいいし、好きな時にブログを書けばいいんです。
別に出来なかったら出来なかったで問題はない。
それが手段というものです。
しかし手段が目的化しているとそうはいかない。
結婚もブログを書くことも「やらなければならない」ことなので、その義務感とプレッシャーに追われることになります。
そして、簡単には手放せないため「結婚しなくてもいいや」「ブログ書くのやーめた」ということもできない。
だから苦しいのです。
手段の目的化とは本来自発的にやりたかったことが、義務や目標にすり替わり、内発的動機が外発的圧力に変わる状態であり、この変質によって自由意志が奪われた感覚になり、純粋な自身の喜びが義務感とプレッシャーにすり替わるのです。
手段の目的化を防ぐには
僕たちが苦しむことなく生きるには、手段の目的化を防ぎ、やらなければならないことを減らしていくことが必要です。
そのためにも、以下のことを意識して生活していくことをオススメします。
1.「何のために?」を問い続ける
手段をとるときに、「自分は何を望んでいるのか?」を繰り返し問い直すことが大切です。
例:「結婚したい」→「なぜ?」→「安心感が欲しい」→「なぜ安心感がほしい?」→「一人では不安だから」→「その不安は本当に結婚でしか解消できないのか?」
このようにしていくと、裏の目的に気づくことが出来るようになります。
そしたらその裏の目的を手放していくことで、手段の目的化を防ぐことが出来ます。
2.手段に柔軟性を持たせ、選択の幅を広げる
「結婚しないと幸せになれない」「毎日ブログを書かないとブログが成長しない」など、手段が絶対的になると、視野が狭まり、失敗や比較に弱くなります。
これしかないという状態ではなく「他にも方法はある」「別の形でも目的は実現できる」
と考えられるようになると、手段に縛られることがないので、真の目的を手放しやすくなります。
3.結果よりも過程を大切にする
手段が目的化された状態の「結婚する」「ブログを書く」という結果に固執をしてしまうと「それが出来たかどうか」だけが評価軸になってしまい、本質的な自分の目的が果たせなくなってしまいます。
それよりも、「どう取り組んだのか」「どう在ることが自分にとって大切なのか」といった家庭の部分を大切にすることで、本来の目的に目が行くようになり、手段に振り回されにくくなるのです。
小さな意識の変化が、大きな心の自由につながります。
今日から少しずつ試してみてください。
まとめ
僕たちは時に、自分でも気づかないうちに「手段」を「目的」にすり替えてしまうことがあります。
それは、自分の不安を埋めるための、一種の防衛反応なのかもしれません。
でも、そのせいで苦しくなっているとしたら。
一度立ち止まり、「本当に自分が望んでいるものは何だろう?」と問い直してみてください。
本当の目的を見失わなければ、人生はもっと自由に、もっと穏やかに進んでいけるはずです。
あなたの「やりたい」が「やらなければ」になっていないか。
その違和感に気づくことから、自由への一歩が始まるのです。