悩みや不安の核となるのは欠乏感であり、その欠乏感が生む行動が僕らを苦しめています。
前回の記事では、欠乏感が起こす行動について書かせていただきました。
今回の記事では、そこを更に深く理解できるよう、欠乏感が僕たちの人生に与える影響について考えていきたいと思います。
欠乏感が生む感情と行動
僕たちは、欠乏感を抱いたとき、ただ「足りない」と思うだけでは終わりません。
その欠乏感が、不安や恐れを生み出します。
「嫌われるかもしれない」「一人になるかもしれない」――そんな未来を避けようとして、僕たちは行動を変えます。
相手に合わせすぎたり、自分の気持ちを抑えたり、逆に相手をコントロールしたり。
例えばですが「愛されないのが怖い」人は、必要以上に優しくしたり、嫌われないように本音を隠したりしますし、「自分が無価値になるのが怖い」人は、人一倍無理をして努力をしたり、他人の期待に応えようとしてしまうんです。
ある意味、何かを達成するために努力をすること自体は素晴らしいと思います。
でもそれって、「本当の自分ではない“条件付きの自分”」で生きている状態なんですよね。
なぜ苦しみが生まれるのか?
欠乏感があると、人は「未来」にばかり意識が向かいます。
「このままだと嫌われるかも」「もっと頑張らないと認められない」
そうやって“未来の不安”を埋めようと、必死になる。
いつか訪れるかもしれない欠乏を避けたいと思ってしまうんです。
それはつまり、今この瞬間の自分の幸せには関心が向かず、自分を蔑ろにしてしまっているということにもなります。
さらにやっかいなのが、欠乏を埋めても「一時的な安心しか得られない」ということ。
なぜなら、物理的に欠乏を満たしてもあなた自身が「足りない」と感じ続けている限りは満たされないからです。
むしろその安心を手放したくなくて、もっと頑張ろうとしてしまう。
結果、心が休まらなかったりするものです。
例えばですが、彼氏からの返信が遅くて不安になってしまうという人は、彼氏からの返信が早まったとしても、根本的に抱えている「愛されているか不安」という気持ちは解消されないので、また返信が遅くなることを怖れてしまったり、別の形で愛情を表現してほしいと要求してしまったりします。
結局欠乏感を抱えている限り、僕たちは欠乏の負のループから抜け出せなくなってしまうんですね。
苦しみのメカニズム(図解)
では、ここまでの流れを一旦整理しましょう。
図にするとこんな感じになります。
これはまさに「努力しているのに、どんどん苦しくなる」という状態。
苦しみは“欠乏感を埋めようとする努力”の中にあるんです。
欠乏感がもたらすもの
欠乏感は、欠乏を満たしたいという欲求を生じさせ、その結果、僕たちに苦しみの原因になる行動をとらせようとしてきます。
そこでここでは、欠乏感がどんなネガティブな影響を僕たちに与えているのかを考えたいと思います。
・ 欠乏感が依存心を生み、執着させる
欠乏感が強まると、自分の中にないものを“他者”に求めるようになります。
誰かに必要とされたい、愛されたいと願い、それが叶わないと不安になります。
そして欠乏を満たしてくれる対象に依存心を生み出し、執着させるのです。
「この対象を失ったら、また欠乏状態に陥ってしまう」そんな不安や恐怖が、依存心を生み出します。
そして執着とは、欠乏状態になりたくないという思いが、依存対象にしがみついている状態であり、常に不安や恐怖と隣り合わせの状態と言えるでしょう。
例えば、子どもは親に依存します。
それは、親に見捨てられてしまったら生きていけないからです。
なので、どれだけひどい親であろうが機嫌を伺ったりしてしがみつくのです。
・ 欠乏感が「コントロール欲求」を生む
相手の言動に不安を感じると、それをコントロールして安心を得ようとします。
LINEの頻度、感情の反応、行動の制限など、自分の不安を減らすために相手を縛ってしまうのです。
自分の足りないものを満たしたいとき、人はどうにかしてそれを満たそうとします。
ただ「愛されたい」「認められたい」といった欠乏感は、“他人からでないと満たせない”と思い込んでしまいやすいのです。
なぜならそれは本来であれば他人から与えられることで満たされるはずの欠乏感だからです。
与えられたいけど与えられない。
そうすると、人は他人をコントロールすることで愛されようとし、認められようとします。
たとえば、こんな場面を思い浮かべてください。
好かれるためにご飯をご馳走するという行為も、相手の好意をコントロールしようとしているものになります。
本来であれば相手に喜んでほしくてご馳走するものですが、好かれようとしてご馳走する人は、期待している反応が返ってこないと、その対象に対して怒りや不満が湧くものです。
想像以上に僕たちは他者をコントロールし、自身の欠乏感を満たそうとしているんですね。
・ 欠乏感が抑圧と迎合を生む
依存や執着、コントロール欲求にも関わってくることですが、欠乏感というのは抑圧や迎合を生み出します。
『嫌われたくない』『迷惑をかけたくない』という思いから、本音を飲み込んでしまいます。その場はうまくいっても、心の中には常に“我慢”が蓄積されていってしまうのです。
抑圧とは、ありのままの自分や本音を抑え込む行為であり、迎合というのは他者に好かれるために相手に取り入る行為だと思ってもらえれば大丈夫です。
どちらも「本当の自分を偽り、相手の期待に応えるために好かれる自分を創り上げる」行為なんですね。
誰かの機嫌が悪かったら、その人の機嫌をとるために本音を捻じ曲げてしまったり、本当はしたくないことなのに無理をしてしまったり。
これもまた、欠乏感を抱える人の多くが陥ってしまうことだと思います。
抑圧と迎合は純粋に自己否定になります。
本来の自分を隠すということは、その自分ではダメだと自分に対してメッセージを送っているようなもの。
自己肯定感が低い人なんかは、こういった部分を見直すことも必要になるのではないでしょうか。
苦しみの本質とは?
ここで気づいてほしいのは、「欠乏していること」そのものが苦しいわけじゃないということ。
「埋めようとする努力」が、自分を追い詰めているんです。
例えば、身長の低い男性でも、それをコンプレックスと思っている人もいれば、何とも思っていない人がいます。
それは「身長が欠乏している」という事実が苦しいのではなくて「身長の欠乏を満たしたい」という「欠乏感」が自分を追い詰めているのです。
まとめ
苦しみの正体は、「足りない」ことではなく、「足りないままではいけない」と思い込むこと。
そんな気づきを、そっと持ち帰ってもらえたら嬉しいです。
欠乏感を抱えながらも、そこに巻き込まれずに生きる道はきっとある。
次回は、このループからどう抜け出せばいいのか?
“欠乏感を受け入れる”という生き方について深く探っていきましょう。
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