・相手の表情や声のトーンに敏感すぎて、無意識に気を遣いすぎてしまう。
・相手の一挙手一投足を気にしてしまって、自分らしく生きられない。
・コミュニケーションにおいて、生きづらさをすごく感じる。
人の顔色を伺ってしまう傾向があるあなたは、もしかしたら上記のような経験があるかもしれません。
アダルトチルドレンと呼ばれる人たちは、上記のような悩みを抱えることも少なくなく、どうしてもコミュニケーション時に怯えを感じてしまいます。
常に緊張した生活を送っているため、どうしても疲れやすく、休みの日は一人になって過ごさないと回復することができなかったりもするのです。
少しでも生きづらさを何とかしたいと考えているのであれば、ぜひ最後までこの記事をご覧になってください。
この記事通して、アダルトチルドレンについて理解を深めていきましょう。
人の顔色を伺うと人間関係が疲れてしまう
人の顔色を伺うということはどういうことでしょうか。
それは言わば、コミュニケーションにおいて常に正解を出そうとしてしまっているということです。
相手が満足するであろう答えを出そうと、必死に相手の表情などから情報を取得し、円滑にその場が収まるように善処します。
別にいいことのようにも思えるのですが、顔色を伺うという行為はどうしたって疲れてしまう。
分からない答えを必死に当てようとしていたら疲れないはずがないんですよね。
だからもしも人の顔色を伺ってしまう癖があるのであれば、手放してしまった方が、あなたのためになると僕は思っています。
必要があって顔色を伺ってきた
ここで僕は顔色を伺ってきたあなたを批判したいわけではありません。
あなたの過去の選択についてとやかく言うつもりはありません。
まずご自身でも理解し、納得してほしいのが、顔色を伺うという行為は必要があったからしてきているということです。
決して意味もなくやっている訳でもないし、産まれた頃からのクセというわけでもありません。
あなたが生育環境において必要だと感じたからやってきたのです。
もしかしたら、何て自分はめんどくさい人間なのだろうだとか、どうして顔色を伺いたくないのに伺ってしまうのだろうとか、そんな風に自分を責めてしまっている人もいるかもしれませんが、責める必要はありません。
過去のあなたがあなたなりに生き抜くための最適解として選択したのが、この「顔色を伺う」という行為なのです。
あなたは誰よりも頑張ってきました。
相手に嫌な思いをさせないように。
問題なく人間関係が構築できるように。
そして何より、自分自身が傷つかないように守るために。
ずっと、ずっと頑張ってきたんです。
この頑張りは我慢の頑張りだったはずです。
自分の本当の気持ちを押し殺して他人を優先させることはツラかったはず。
それでもやめずに頑張ってきたのは、あなたなりの正解だったからではないでしょうか。
どうして顔色を伺ってしまうのか
どうしてこんなにもあなたは頑張ってきたのでしょうか。
そこには、恐れが関係しています。
顔色を伺う必要があるのはなぜかと言えば、その顔色を伺っている対象の機嫌を損ねることを避けたいからですよね。
機嫌を損ねたら嫌われちゃうかもしれない。
機嫌を損ねたらキレて怒られるかもしれない。
機嫌を損ねたら大切なものを奪われてしまうかもしれない。
相手が常に満足してくれることがあなたにとって安心であり、相手が機嫌を悪くした結果何かを失うこと、それがあなたは怖いのではないでしょうか。
例えばですが、僕は雇用主(オーナーや社長)の顔色をすごく伺ってしまう癖がありました。
別に嫌われたらしょうがないと思っているのだけど、どうしても顔色を伺ってしまうのはなぜかと考えた結果「職を失うのが恐いから」という答えが出てきました。
他にも、彼女の顔色をすごく伺ってしまう時期があり、それもどうしてか考えてみると「自分を好きと言ってくれる人を失うのが恐いから」という理由が見つかりました。
僕たちは本来であれば安心感に包まれて生きていきます。
この人は自分を裏切るはずがない。
いつまでも自分の味方でいるはずだ。
という根拠のない安心感を親子関係で培ってくるのですが、親子関係の愛情関係が不安定のまま育ってくると、人を無条件に信じるということが出来なくなってしまいます。
その結果、見捨てられ不安というものを抱えるようになり、自分が失ったら怖いものを持っている人に対して、顔色を伺ってしまうのです。
顔色を伺うのをやめるには
では顔色を伺うのをやめるにはどうしたらいいのでしょう。
そこで大切になるのは、自分が何を失うことを恐れているのかを明確にすることです。
何が恐いか、自分に問うてみるのです。
「どうしてこの人の顔色を伺っているのだろう」
「この人の何を失うのが恐いのだろう」
そうして自問自答していくと、ふと気づくことが出来ます。
「あ、そうか。この人に嫌われることを恐れてたんだな(好意を失うのが恐いかった)」
「あ、そうか。この人から与えられてるものを失うことが恐かったんだな(安心安全を失うのが恐かった)」
こんな風に、自分の怯えに気づくことが出来るのです。
そうしたら、その失いたくないものは本当に失いたくないのかを考えてみます。
見ず知らずの人の顔色をいつも伺っていたけど、本当に見ず知らずの人に嫌われたらダメなのかな?とか。
どうしてもこの仕事を失うことが恐いけど、本当に失ったら最後なのかな?とか。
考えてみると、意外と手放しても良かったりするものなんです。
別に知らない人に嫌われたって痛くもかゆくもないし、仕事だって転職すればいいだけだし。
この人が自分にとって重要であるという認識を持って接してしまうから顔色を伺ってしまうのですが、全然重要ではないという認識を持てればそこまで顔色を伺わずに接することが出来るようになるのです。
まとめ
人の顔色を伺うのにも理由はある。
ただ、その理由は本当に正しいのかを改めて考えてみようというのが今回の記事の総括です。
いままであなたは耐える努力をしてきたのだから、今度は手放す勇気を持つ努力をしていけば良いだけなのです。
大丈夫。
その人は、あなたにとって重要人物ではない。
本当にあなたにとって重要な人物とは、あなたが顔色を伺わなくても大丈夫な人だから。
あなたがのびのび過ごせる人を大切にすればいいんです。