なんでこいつはいつも厳しいことを言ってるんだと。
なんで自分自身と向き合えなんていうことばかり言ってるんだと。
きっとそう思っているでしょう。
わかる、わかるよ。
きっと過去の自分が僕の書いた記事を読んだら「そんなことしても人生変わらねえよハゲ」と突っ込んでいたかもしれません。
あ、ちょっとやめてください。ハゲって言わないください。
まぁでも本当にその通りで、自分と向き合ってこなかった人にとって「自分と向き合うこと」「精神的に成熟すること」の必要性、重要性っていうのは体感的に納得できるものではないかと思います。
良いものっていうのは手に入れたり経験してみて初めてその価値に気づくものですから当たり前なんですけどね。
だって目の見える僕たちにとって歩道にある点字ブロックの大切さって分からないじゃないですか。
それを使って初めてその価値が分かると思うんです。
でも、じゃあ手に入れられなければ全く意味がないのかと言えば、そういうわけでもないんです。
目の見えない方の話を聞けば、少なくとも点字ブロックの価値を理解することができます。
僕たちは言葉というツールを使うことで、想像することができるんですよね。
なので今回は、自分と向き合うこと、精神的に成熟することがどうしてそんなにも価値があるのかっていう話を出来ればなと考えております。
なかなか自分を成長させるのに腰が重いと感じている人は是非ご覧ください。
何もかもが変わる
自分と向き合うことで起こるのが精神的成熟。
いわゆる、大人になるっていうやつです。
でも別に大人になるだけならそんな頑張る必要もないじゃんって思うのではないかなと。
でも実際はすごくメリットがあって。
もうね、何もかもが変わります。
なんやその魔法はと言いたくなるかもしれないんですけど、本当に何もかもが変わるんです。
いや、例えばですけど別にちんちんの長さは変わらないですよ。
そんな急にちんちんが3メートルのアナコンダちんちんになることはないんです。
けどですよ、仮にちんちんの大きさに悩んでいたとするじゃないですか。
ちんちんがミジンコちんちんであることを悩んでいること自体が精神的に未熟なんですね。
なので精神的に成熟するとアナコンダになる必要はなくなるわけです。
自分自身がミジンコであることがダメであるとか。そういったアナコンダへの執着というものが手放せるんですね。
で、そうなるとどうなるか。
めちゃくちゃ心が穏やかになります。
今までは嵐のように荒れていた心が、嘘のように落ち着きを見せるのです。
グランドラインからカームベルトに行ったくらいの落ち着き様です。
僕は嵐の世界から抜け出した経験があるので語れるのですが、本当に生きやすいんです。
いままでは世界が敵だった。
常に怯えていたし、不安だったし、とにかく心が休まらなかった。
でも、精神的に成熟していく過程で、全てが自分の勘違いであることを知って、世界の見え方が変わったんです。
誰でも精神的に成熟できる
で、別に僕は特別な素質があったとかそういうわけではないんです。
ただのモブ。
村人Aです。
そんな僕にもできたわけですから、世界中の誰でも精神的に成熟することはできるわけです。
そう、間違いなくあなたにもできるわけです。
この素晴らしい世界を、あなたも見ることができるんですよ。
もう苦しむことなく、のびのびと生きることができるんですよ。
すごく気楽に、ただ楽しく、乱れることもなく生きることができるんですよ。
どうですか。
自分と向き合いたくなってきませんか。
ただ自分と向き合って、自分を受け入れていくだけでいいんですよ。
僕たち人間の本質の部分なのに、学校でも教えてくれなかったし、当然親も教えてくれなかったから知らなくてやってなかったけど、どの教科よりも大切なことなんですよ。
例えばですよ、さっきいきなりちんちんの話をし始めたとき、昔の僕ならちんちんの話したら嫌われちゃうかなとか、そういったことを考えて苦しくなって、ちんちんの話は没になっていたわけです。
でも、精神的に成熟すれば堂々とちんちんの話をすることができるわけです。
精神的に成熟すればそもそもちんちんの話なんかしないっていうツッコミは無しですよ。
精神的成熟っていうのは、自由の獲得であり、真の自立でもあるのです。
生きるということはこんなにも素晴らしいものであって、楽しいものなんだっていうことを再確認させてくれるもの、それが精神的成熟なんです。
まとめ
じゃあどうやって精神的に成熟するんだ、どうやって自分と向き合えばいいんだっていう話が出てきそうですが、純粋にダメな自分を認めてみてください。
自分はちんちんが小さい人間であることを認め、ちんちんが小さい人間として生きると誓うのです。
堂々と、胸を張って、アナコンダになろうとせず、ミジンコとして生きると覚悟を決めるのです。
ミジンコと馬鹿にされてもいいや、ミジンコを理由に嫌われてもいいやと、本当の自分が愛されないのであれば仕方ないと、愛されることを諦めるのです。
自分がミジンコであっても愛してくれる人だけを大切にしていく。
ミジンコ愛好家だけを大切にしていく生き方こそが、精神的に成熟するために必要な生き方なのです。