不安や悩みのない人生に。

欠乏感を解消して、ありのままの自分で生きよう。

僕たちは愛されてきた

僕は愛情飢餓感が強かったんです。

今でこそなくなってきたのだけど、愛情飢餓感が強いあまり恋愛関係は全て与えられようとする始末。

自分を偽って迎合し、何とかして愛されようと努力をするのでした。

 

でもですよ。

最近はそんなこともなくなってきていて。

 

本当に昔は好きになられたら好きになっちゃうタイプだったんですが、今は好かれても好きになることはなくなったりと、成長を感じているのです。

 

そんな風に成長を感じている傍ら、親にだけは変わらない自分がいます。

どこか愛情を求めてしまう自分がいるんですよね。

 

僕の親は典型的な毒親要素があってそれが原因でアダルトチルドレンになってしまったのですが、愛情がないと分かっていても無意識に愛を求めてしまっていて、どうしたものかなと考えていたんです。

 

それでしばらく考えていたところ、ふと気が付いたことがあって。

あ、僕も愛されていたんだなぁと納得することがあったので、今日はそれを皆さんに共有出来たらなと思います。

愛されてこなかった、愛情飢餓感に呑まれてしまっている方は是非最後までご覧ください。

 

 

 

 

愛されてこなかった者たちへ

まずは愛されてこなかったあなたに伝えたい。

あなたが愛されてこなかったことに、あなたに落ち度はありません。

あなたがどれだけ劣っていようが、未熟であろうが、卑怯な人間であろうが、それがあなたが愛されなかった理由ではありません。

 

あなたが愛されなかったのは、あなたを愛すべき両親に愛する能力がなかったからです。

 

愛されるというのはあなたではなく、愛する人の能力に原因があります。

 

だから自分を責めないで欲しいのです。

 

あなたはどんなあなたでもいい。

 

どれだけ情けなかろうが、どれだけ弱い人間だろうが、そのままのあなたで良いのです。

 

愛情飢餓感を抱えた僕たち

僕たちは愛情飢餓感を抱えていて、愛してほしいと常に感じています。

それは、もう少し解像度を上げて表現すると「ありのままの自分を否定せず、責め立てず、受け入れてほしい、認めて欲しい」ということです。

 

つまり愛情飢餓感を産んでいるもの、それは「無償の愛の欠如」といえますね。

 

どんな条件下においても、それでもあなたには価値があるというメッセージを貰えなかった僕たちは自分の価値を自分で認められなくなってしまった。

だから誰かに肯定してほしくて、外の世界に求めてしまっているのです。

 

もちろん僕もそう感じていた一人。

どこかにある無限の愛情を探しては見つからない現実に打ちのめされていたのです。

 

それでも愛されていた

これに気づくのにすごく時間がかかりましたが、僕たちはそれでも愛されていました。

信じられないとは思いますが、愛されていたんです。

 

愛とは精神と同じで、成熟するもの。

愛する人の成熟度によって愛の性質は大きく変化するのです。

 

依存的な愛。条件付きの愛。自己中心的な愛。愛の欠如を補うための愛。

 

無償の愛を愛と呼ぶのであれば、この「愛のような愛」を何と呼べばいいのかは分かりませんが、これらも立派な愛だったんですね。

 

納得できないでしょう。

あんな仕打ちをされて、あれだけ雑に扱われてそれでも愛していたなんて。

 

でも言ってしまうと彼らは「最高の愛ではなく最善の愛」で愛していたのです。

 

最高の愛と最善の愛

僕たちの親も、最善を尽くしていたんです。

彼らが出せる100点満点を、ベストを尽くしてくれていたんです。

 

どれだけ最善を尽くしたところで、それは最高の愛(無償の愛)とは言えないでしょう。

でも未熟なりに、相手を尊重できないなりに、最善を尽くして愛してくれていたのです。

 

未熟なりに最善を尽くしてくれていた彼らをどうやって責めることができるでしょう。

僕には責めることができません。

それでも最高の愛を与えてくれと、求めることはできないんです。

 

なぜならそれはないものを欲しがるということだから。

 

あなたに東大に行く学力がないとして、それでも両親が東大に行けと言ってきたらおかしいと感じるでしょう。

 

ないものはないんです。

それは僕らと同じく、両親も一緒のこと。

持ち合わせてないものを求められても、仕方がないのです。

 

許すことで前に進む

愛せない両親を許すことです。

無償の愛を持ち合わせていない両親の未熟さを許すことです。

 

「あなたの愛は手に入らないが、それでもいい」と執着に決別し、前へ進むのです。

 

僕たちに課された宿命は、愛されなかった世界で、誰も肯定してくれない世界で、自分自身で自分を認めていくことです。

親を憎むことが宿命ではないのです。

 

もう、ないものねだりはやめましょう。

どれだけ欲しがっても、ないものはないのです。

 

そして、本当は愛してくれていたのだと気づきましょう。

最高のものは与えてくれなかったけど、最善の物を与えてくれていたことに気づくのです。

 

彼らなりの努力に感謝すること、それが足るを知るということなのではないでしょうか。

 

 

 

まとめ

愛されてこなかったと思っていたけど、実際は愛されていた。

未熟な愛なりに、不器用な愛し方をしていたんです。

 

確かに傷つくことも多かった。

そりゃあ未熟なのだから失敗もするでしょう。

 

愛し方が下手な人もたくさんいます。

 

それを認めて、自分の足で進むのです。

 

自分で自分を愛するという選択をとっていきましょう。