私は何者でもないと、何者かにならないといけないと考えている人って、多いんじゃないかなぁ。
インターネット、さらにはSNSが発達した時代。
僕たちの身近に広がる世界は言葉通り世界に拡大されて、何かを成した人たちばかりが目に付くようになってきた。
きっと彼らは世界人口の約数%に過ぎないのだろうけど、それでも彼らの背中を追うように、自分も何者かにならねばと考えてしまうのですよね。
それでね、これの困るところが、この苦しみってずっと続くんですよ。
何者かになれない限り、世界の数%に辿り着かない限りこの欲求が満たされることはないんです。
そんなツラいことないじゃんって。
それってもしかしたら、死ぬまで満たされることないんじゃないのって。
だから、そんな思いは手放してしまってほしい。
何者かになりたいという思いは捨てて、別の思いを掲げて欲しい。
僕はそんな風に思っています。
今回の記事はそんな「何者かになりたい」人に必要な正しい生き方について考えていきます。
ぜひ最後までご覧くださいね。
なぜ何者かになりたいのか
そもそもなぜ何者かになりたいのかというと、きっと認められたいからだと思います。
大抵の人は自分で自分を認めることができない。
自己肯定感が低く、自分で自分を認めることができないから、誰かに認めてもらうことでしか自分の価値を見い出すことができないでいます。
本当はありのままの自分でも価値があるのに、現状の自分を自分が認めることができていないから、他人に認めてもらうにはもっとすごい自分に、より良い自分になるしかないと思っているのです。
だから、何者かになろうとする。
そんな必要はないのに、みんながすごいと言うような人になれば自分で自分を認められる気がする。
そうやって僕たちは幻想を追いかけ続けてしまうのです。
認められるための努力は実りにくい
でも、認められるための努力が動機の場合、何故か実りません。
がんばってもがんばっても、世界で輝いている人たちと比べたら大したことはない位置で歩みが止まってしまうものです。
苦しい思いをしながら頑張ったとしても、結局は満たされないことも多いのではないかなと思います。
どうして実らないかというと、その行為自体が好きではないからです。
例えばですが、YouTuberになって認められようとするとしましょう。
みんなから注目を浴びることができるのであれば、なんだか自分を認めることができそうです。
ですが、動画編集やコンテンツ発信自体に楽しさを感じていなければ、YouTuberをやっていくことは苦しい努力となってしまいます。
だから続けることにストレスを感じるし、楽しくてやっている訳ではないから成果も出にくいのです。
そうじゃないんです。
自分が純粋に楽しいと感じること、純粋な喜びに繋がることをやっていくべきなのです。
大切なのは肩書ではなく、あなたが何をするのかです。
それがあなたが何者かを決めるのです。
あなたは何者なのか
あなたが何者なのかどうかは、あなたが何をしているかで決まるものです。
あなたの生き方が世界にどう映っているのかで決まるものなのです。
医者は医者だから人を治療するのではありません。
医者は人を治療しているから医者なのです。
機長は機長だから飛行機を操縦するのではありません。
飛行機を操縦するから機長なのです。
あなたは何をしているのですか?
何をしているときが一番の喜びなのですか?
そこに、あなたが何者であるかの答えが隠れているのです。
何者かになりたいのであれば、まずは自分が楽しく、喜びを感じながらできることを続けていくことです。
その先が社会的に認められるほどのものであるかは分かりません。
もしかしたらただの映画好きかもしれませんし、僕のように心理学大好きおじさんかもしれません。
でも、それが自分だから。
他人から認められる自分ではないかもしれない。
けど自分というものは大したことない、評価されない部分も持っているのが自分だから。
自分の喜びに従って生きていくことで、自分が何者であるかを定義できるようになり、場合によっては人に評価されるようになるのでしょう。
だから、形から入ることはやめましょう。
こうなれば認められるとかそういう思考ではなく、こういうことをしたいという行動に注目して生きることです。
あなたは、何をして生きていきたいですか?
まとめ
何者かになりたいなら、まずは認められることを諦めましょう。
誰かに認められようとしている限り、何者かになることは難しいです。
それはやりたくないことを続けるということだから。
やりたくないことを続けるのは、やはり難しいのです。
そうではなくて、自分が何をしたいのか、そこを大切にして生きることが大切なのだと思います。
人は行動しているから何者であるかが決まるのです。
決して、なりたい形が先行して決まるわけではありません。
あなたはきっと、今なにもしていないのでしょう。
何かをしていたとしても、それは自発的ではなく、受動的にこなしているに過ぎない。
だから自分が何者かが分からないのです。
自発的に取り組める、喜びに直結するものを探していきましょう。
あなたはいつからでも、何者にでもなれるのです。