不安や悩みのない人生に。

欠乏感を解消して、ありのままの自分で生きよう。

死にたいと思っているあなたへ

おいおい、ちょっと待ってくれよ。

こんなタイトル、急にどうしちまったんだよたけうちさん!

 

はい、なんだか死にたいという人が僕の周りには多くてですね。

きっと僕の周りだけではなくて、もっとたくさんの人がそう感じているのだろうなと思っているわけです。

 

僕は昔、ネガティブで人生に絶望しているときがありまして。

その時は確かに死んでしまいたいという風に思ったこともあります。

 

死んだほうが楽になれるかなって思ってしまうんですよね。

でも、実際そんなことはなくて。

そもそも死ぬのは怖いから死ねないし、死なずに生き抜いてきて思うのは、死ぬことだけが救済ではなかったということです。

 

だから死ぬなんていう選択肢を考えないで欲しいという願いがあるのです。

 

死にたいと思ってなんとなく検索して、この記事に辿り着いたあなたに僕は届けたい。

 

はっきり言いましょう。

死は救済ではありません。

 

僕たちが得るべき救済は、自らの命を絶つことではなく、その苦しみを受け入れた上でその地獄を歩いていくことなのです。

 

ということで、今回の記事はそんな「僕たちが得るべき本当の救済とは」というお話をしていきたいと思っております。

どうせ死ぬなら、最後に僕の話に付き合ってくださいよ。

ぜひ最後までご覧くださいね。

 

 

 

あなたは苦しみから逃れたい

あなたは今が苦しい。

生きていることがツラい。

 

別に死にたいわけじゃなくて、生きていることがツラいから、だったら死んだ方が楽だよねっていう話なんですよね。

本当は生きていられるなら生きていたいのではないでしょうか。

 

十分にあなたは苦しんでいるんです。

けど、世界はあなたを許してはくれない。

どうしてかツラい出来事ばかりがあなたを襲ってくる。

 

そりゃあ死にたくもなる。

だって嫌だもん。

 

多分死にたいと思わない人には分からないと思います。

毎日が苦しくて、明日が来ることがツラい。

経ても経ても地獄の入り口に立たされる。

また地獄からのリスタート。

 

それの何が楽しいのかと。

何もかもが上手くいかない人生に楽しさなんて見い出せない。

だから生き地獄から本物の地獄へ行こうとしてしまうんですよ。

 

ただね、だからって死のうとするのは待って欲しい。

もちろん苦しいのは分かってる。

あなたの心はもう限界だ。

 

でも、死は救済ではないから。

耳に痛いことを言いますが、死は逃げでしかないんです。

 

目の前の課題から逃げない

多分そんなことわかってると思います。

言われなくても、分かってても、それでもなお苦しいから死にたいんですよね。

 

僕たちの人生は課題の連続です。

何かを解決したら、また別の課題が降り注いでくる。

それをひたすらに乗り越えていかなければなりません。

 

地獄ですよね。

平穏なんてものは存在しないのだと思います。

 

そんな中で、解決できない問題が現れてくる。

どう足掻いたって自分では解決できないような問題が自分に襲い掛かってくる。

 

そういった課題の重圧に押しつぶされそうになって、苦しくなって、僕たちは「死」という幻想の救済に手を伸ばしそうになってしまうのです。

 

でも、その課題さえ解決出来てしまえば問題ないんですよね。

だから、まずは課題解決から逃げるんじゃなくて、課題と面と向かって向き合ってみるのはどうですか?

それは確かにツラいでしょう。

でも、その先にしか光がないのであれば、まずは100%向き合ってから、またその時に課題解決から逃げるかどうか決めてみてもいいんじゃないかなと思うのです。

 

僕も死にたかった

最初に少し触れましたが、僕も死にたくなった時があります。

 

もう人生上手くいかなさ過ぎて。

いじめられるわ、底辺だわ、お金はないわ、誰からも愛されないわで、もう苦しみのカルテットって感じで。

 

もう、頑張る気力もないんですよ。

だって頑張ってきてこれだもん。

 

頑張って人生に抗い続けて、ツラい現実を耐え忍んで、苦しいと思いながらも踏ん張ってきた。

でも、未だに人生は地獄でしかなかった。

だったら、死んでもいいんじゃないかって。

 

もう詰みゲーなのだったら、いったんセーブデータを削除して、新しくデータを始めた方が良いんじゃないのって本気で思ってたんですね。

 

でも、そこでたまたま心理学と出会ったんです。

そして、自分の人生が上手くいっていないのは心の問題を解決できていないからだって知ることができて、そこでやっと抱えている課題を解決できるようになっていって、今がある。

 

だから、みなさんにも課題解決の方法を共有して、課題に向き合ってもらいたいんです。

 

その課題はコントロールできるか

僕たちに降りかかる課題は、コントロールできない課題と、コントロールできる課題とがあります。

 

その課題がコントロールできるかどうか判別し、どう向き合っていくかを理解しておけば、自分を苦しめる課題が現れたとしても上手く対処できるようになるのです。

 

コントロールできない課題

まずは、コントロールできない課題についてです。

コントロールできない課題とは、例えば他人や環境など、自分の意思の力ではどうしようもないもの。

どれだけこうしてほしい、こうなってほしいと願っても、自分の意思とは関係なしに変化し、影響を与えてくるもの。

 

こういったものはコントロールできませんから、コントロールできないものとして扱っていかなければなりません。

 

つまりは、そういう他者や環境に変化を求めることをやめるということです。

コントロールできないものに要求することをやめて、自分の行動を変化させていくのです。

 

それが、外的要因を受け入れるということです。

 

例えば、職場環境が劣悪でストレスが溜まっていて苦しいとしましょう。

明らかに職場環境に問題があってあなたが悪くなかろうとも、職場環境があなたの願い通りに変わることはありません。

 

なぜなら、自分以外の意思で成り立っているものだからです。

 

だから、自分の行動を変える。

どうしても改善されないのであれば、その職場をやめる。

そうしていく覚悟が必要なのです。

 

でも、どうして外的要因に変化を求めてしまうのでしょうか。

それはあなたが欠乏を避けようとしているから。

つまりは何かを失うことを恐れているから、自分ではなく外部に変わってほしいと願ってしまうのです。

 

だけど、世界というのは自分の期待に応えてくれることはない。

だから自分の行動にフォーカスして生きていくしかないのです。

 

コントロールできる課題

次にコントロールできる課題について。

コントロールできる課題というのは、自分の行動でコントロールできるものを指します。

つまりは自分自身のことについてです。

 

コントロールできる課題なのであれば簡単に解決できそうではあるのですが、どうしてか僕たちは課題を解決できず、いつまでも苦しんでしまう。

 

それは、自分自身を受け入れられないでいるからです。

ありのままの自分や現状を受け入れられておらず、否定、拒絶している部分があるから、その課題の解決に着手できていないのだと言えます。

 

例えば、僕はお金がありませんでした。

お金がないならもっと働けばいい。

でもそれをしなかったのは、自分自身がフリーターであることを恥じており、人に馬鹿にされること、否定されることを恐れていたからです。

傷つくくらいだったら、課題を解決しないでいる方が傷つかないので安心だったのです。

 

それで課題は解決できず、でも苦しく、そんな身動きが取れない状態でどんどん心はすり減っていってしまっていたのでした。

 

だから、課題と向き合うことです。

 

そして、自分が受け入れられていない現状を受け入れ、言ってしまえばダメな自分として生きていくのです。

 

ダメな自分として生きていけば、得たい物が得られないかもしれません。

 

男としての価値や、母親としてのあるべき姿、愛されることなど、自分が欲しているものが得られないことでしょう。

それでもいいと覚悟するのです。

 

お金がないなら、お金がないことで失うものを受け入れるのです。

 

お金がない男は女性ウケは悪いかもしれません。

もしかしたら結婚も難しいかもしれません。

でも、それは今の自分では得られないのだから、手に入らなくてもいいやと、肯定的に諦めるのです。

 

ですが、手に入らないからもうだめだというのではありません。

手に入らなくても生きていけるし、他のことから幸せを見い出せばいいと、執着を捨てるのです。

 

地獄を生きる強さを

僕たちは地獄に生まれてきました。

地獄に生まれ落ちなかった者もいるのは事実。

幸せそうに、何も苦労がないかのように生まれ落ちる者もいます。

 

ですが彼らとは関係なく、宿命として、僕たちは地獄に生まれ落ちてしまったのです。

 

地獄に生まれ落ちたことは変えられない。

だったら、この地獄を生きていくしかないじゃないですか。

 

そしてなにより、あなたは今まで地獄で生きることを耐え忍んできた。

懸命に、生き延びるために、エネルギーをそこに注ぎ込んできた。

 

あなたは生きていただけで、良くやっていたのです。

本当は誇ってもいいくらい、すごいことを成し遂げてきているのです。

 

でも未だに地獄から抜け出せないのがツラいのであれば、地獄で生きる強さを求めて生きましょう。

 

それは、我慢することではありません。

ツラい出来事を耐え忍ぶことではありません。

 

自分が今いる地獄を認め、自分の未熟さを認め、それでもそんな自分で生きると決意することです。

今から未熟な自分として人生を進めるのだと決意するのです。

 

あなたのペースで良いから、何かを失うことを恐れずに進むのです。

欠乏を恐れることなく、何もかもを失っているあなたとして、何でもない人として生きていくのです。

 

それは苦しい道のりかもしれません。

向き合うべき課題と正面からぶつかっていくのですから、きっと困難に次ぐ困難があなたを振り回すでしょう。

 

ですが、その困難はあなたを成長させる困難です。

あなたが課題を解決するための困難です。

 

あなたが地獄から抜け出すために必要な困難なのです。

 

地獄から抜け出すために垂れ下がっている蜘蛛の糸は、死ではありません。

自分自身の苦しみを受け入れ、それを乗り越えようとすることこそが、あなたを救い出す唯一の蜘蛛の糸なのです。

 

そんなの無理だって言いたくなるでしょう。

でも、あなたならできる。

 

なぜなら今まで地獄を生き抜いてきたから。

そこら辺の人よりも懸命に生きてきた過去があるから。

 

その努力の方向性を少し変えてみるだけ。

欠乏が引き起こす恐怖に打ち勝つ強さを手に入れようとしてみるだけなのです。

 

あなたが命を絶つ必要なんてないんです。

あなたはあなたらしく生きるだけの可能性も、能力もあるんです。

 

諦める前に、最後に藻掻いてみましょうよ。

あなたが幸せに生きる方法を、僕は一緒に模索することができます。

 

人生いつからだって最高のものに変えられるんだってことを、一緒に感じていきたいですね。