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問題との向き合い方【どうすればよかったか】

ついに、ついに観てきたぜ……

 

どうすればよかったか

 

最近近場の映画館で上映開始になりまして。

早速観てきましたが、僕が見たドキュメンタリー映画のなかで一番いい作品だったと感じました。

 

とにかく観てほしい。

めっちゃ考えさせられる作品になってます。

 

特にですね、この作品は「問題との向き合い方」について考えさせられました。

問題とどう向き合っていくことが大事なのか。

どうすれば問題は解決していくのか。

 

今回の記事では、問題との向き合い方についてお話していきたいと思います。

※この先はネタバレを含むないようになってますのでご了承ください。

 

 

 

問題の先送り

この作品は、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科に受診させず、家に閉じこめた両親を20年間記録したドキュメンタリーです。

医師であり研究者の父と母が、統合失調症が疑われる行動をし始めた姉の症状を認めず、自宅に閉じこめて医療から遠ざけた対応について問いかけています。

 

あらすじからも分かる通りすごい重たい話なんですが、それでも観る価値はありますから、観てない方は是非観ていただきたいと思います。

 

さて、この作品では、姉の問題を20年間放置し続ける両親の姿が描かれています。

統合失調症の疑いがあるのに、精神科に通わせることをせず、自宅で面倒を見るとして家に閉じ込めるという選択をするのです。

 

外へ出ていかないよう玄関のドアには南京錠をかけ、完全に外の世界と遮断するようになっていきます。

 

ですが、両親もやはり老いには勝てません。

母親が認知症になってきたタイミングで、撮影者である弟が姉の入院を提案し、それに同意。

 

姉は発症から25年の年月を経て、やっと精神病院に入院することになるのです。

 

そしてなんと、3か月で合う薬が見つかり、今までで一番調子が良さそうな姿を見せるように。

姉は死ぬまで楽しそうに過ごしていくのでした。

 

とまあ、こんな感じの話なのですが、問題の先送りが如何にひどいことであるかを再認識させられました。

 

姉が統合失調症になったとして、様子がおかしくなったとして、精神科に連れて行ってあげていれば、問題はもっと早く解決したはずです。

姉の雅子さんも、25年も無駄にすることはなかったはずです。

 

でも、両親が問題を先送りにしてしまったから、本気で治そうと取り組まなかったからこの悲劇は起きたと言えます。

 

では、どうしてこの両親は問題を先送りにしてしまったのでしょうか。

 

なぜ問題を先送りにするのか

僕たちはどうして問題を先送りにするのでしょうか。

1つの理由として、その方が楽だからというパターンがあります。

 

問題を解決するというのはエネルギーがいります。

場合によっては、人間関係に摩擦が起きたりと不利益を被る場合があるので、そうなると人は問題解決よりも問題の先送りを選択してしまうのです。

 

なんとなくわかりますよね。

見て見ぬフリをした方が今の自分には楽なんです。

 

今回の映画の両親が楽をとるために問題を先送りしたのかは不明ですが、特に他人の抱えている問題となると、余計解決を先送りにし、自分の安心を優先してしまうのが人間というもの。

ですから、こういった心理も多少働いていたのではないかなと考えています。

 

そうしてもう1つの理由としては、その問題を認められないというパターンがあります。

「その問題が悪いことである」という認識があると、人はその問題を認めにくくなり、問題解決自体から逃げてしまうのです。

 

例えば自分が貧乏だったとして、それが収入が低いことから起因している結果だとします。

でも、収入が低いことに強いコンプレックスを抱いていると、収入が低い自分を受け入れられなくなり、その問題を解決できなくなるのです。

 

だって認められないのですから、そこでがむしゃらに働くといった選択が取れなくなるのです。

そして認められない結果として、間違った対策をとってしまいます。

この例で言えば、収入を増やすのではなく、支出を減らすために節約をしだすのです。

 

この映画で両親は、娘の統合失調症を認めることが出来なかった。

認められたら精神科に連れていかれただろうけど、認められなかったから、家に閉じ込めるという選択をしたんです。

 

問題と正面から向き合わないことには、本当の解決策は見えてこないということを、僕たちは忘れてはならないのです。

 

問題を認めるところから始めよう

問題を認めたくない気持ちは分かります。

僕だって、フリーターだったし、性格は終わってたし、精神的に未成熟だしで、認められない所はたくさんありました。

 

でも、認めなきゃ始まらないんです。

 

人よりも劣っている、世間一般とは違う存在であるということを認めて、その人生を歩む覚悟を決めなきゃいけないんです。

 

いいじゃないですか。

ダメでも、弱くても、未熟でも、人と違くても。

 

そんな自分がどう生きるかなんですよ。

 

この映画の両親は、統合失調症の娘の親として生きる覚悟が出来なかった。

だから隠した。

見て見ぬフリをした。

 

こんな残酷なこと、許されるはずがないんです。

 

でもね。

でもねですよ。

 

両親が娘を家に閉じ込めるのと同じように、僕たちも自分の弱点を自分の中に閉じ込めているんですよ。

 

僕たちも、僕たち自身を軟禁しているんです。

 

それは虐待ではないかねと。

自分自身に対する、セルフネグレクトなんです。

 

自分の弱点、コンプレックス、本音。

こういったものを隠すという行為は、まさにこの両親がしていたことと同じことなんです。

 

やめようぜ。

もっと世界は自由なんだ。

 

あなたはもっと自由に生きていいんです。

どんなあなたでもいいんだよと、自分自身に伝えてあげてください。

許可を出してあげてください。

 

それが問題を先送りにしないための最初の一歩になるはずです。

 

 

 

まとめ

問題と適切に向き合えないと問題は解決できません。

確かに向き合うのはツラいかもしれませんが、それでも向き合わなければいけない時は来るのです。

 

大丈夫。

どんな問題を生んでいるあなたでも、大丈夫だから。

確かに世間一般の価値観からは外れているかもしれないけど、それでもあなたはあなただから。

 

僕はダメなあなたを肯定することはしないけど、そんなあなたでもいいよって受け入れることはできます。

あなたが等身大のあなたで生きることに許可をすることはできます。

 

一緒に、ありのままの姿で生きていきましょう。