こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
このブログでは、人はどうしたら幸せになれるのかというテーマで執筆をしております。
なんとも抽象的なテーマで運営されているなと自分でも感じるものです。
さて、人は自己実現的に生きることが1番の幸せであると私は考えているのですが、自己実現的に生きる上で重要になってくるのが、自己実現的に生きるための4ステップです。
①自己理解
②自己受容
③自己成長
④自己実現
この4つのステップを経ることで、人は本質的に幸せになることができるのですが、自分を理解して、受け入れて、成長していけば自己実現できるという割には、自己実現できない人多いです。
一見簡単そうに見えるのに、どうしてこの4つのステップを攻略することが出来ないのでしょう。
それは、欠乏感を乗り越える必要があるからなのです。
ですが、この欠乏感をしっかりと理解できていないと、自分との向き合い方を間違えてしまいます。
なので今回の記事で欠乏感についてしっかりと理解し、自己実現に向かって成長していけるようにしましょう。
ぜひ最後までご覧ください。
欠乏と欠乏感
僕たちが欠乏感をしっかりと理解するうえで、必ず押さえなければならないのが、欠乏と欠乏感の違いです。
この違いを混同してしまうと、自分との向き合い方を間違えることになってしまうので、必ず押さえるようにしましょう。
欠乏とは、事実としてに何かが足りていない状態です。
例えば、お財布に1000円しか入っていない場合、実際に欠乏しているので、これは欠乏ということが出来ます。
これに対して欠乏感というのは、自分が欠乏していると感じている状態です。
欠乏をしているからといって、必ず欠乏感を感じるということではないというのが、この2つの言葉を理解する上では大切なのです。
例えば、我々社会人がお財布に1000円しか入っていない場合、欠乏感を感じることでしょう。
それは、普段と比べて著しくお財布の中身が欠乏しているからです。
ですが、仮に小学1年生の頃のあなたのお財布に1000円が入っていた場合、あなたは欠乏感を感じるでしょうか。
勿論お小遣いの額は人それぞれなので何とも言えませんが、1000円も入っているという風に感じる人が多いのではないかと思います。
事実としては欠乏していたとしても、欠乏感を感じるかどうかはその事実ではなく主観で決まるというのが、欠乏感を理解していく上では大切なのです。
欠乏感とは、思い込みである
欠乏感とは、自分が足りないと思い込んでいるときに生まれるものです。
本当は欠乏していることなく、むしろ充足しているとしても、欠乏感があれば人は欠乏感を感じてしまう。
そしてその欠乏感によって生まれる恐れが、欠乏を避けるような行動へと僕たちを駆り立てていく。
これが、僕たちが自己実現できない原因であり、乗り越えるべき壁なのです。
この思い込みを如何にして手放すのか。
これが、今不幸に生きている人が直面すべき課題なのです。
欠乏感の手放し方
欠乏感とは、欠乏している自分を受け入れられないときに生まれるものです。
そしてその欠乏感を手放すには、その避けたい欠乏を受け入れることで乗り越えることが出来ます。
例えば、あなたが愛されていないという欠乏感を抱えている場合、あなたは愛されていない自分を受け入れることが出来ず、愛される未来に執着しているから、その欠乏感に苦しんでいます。
別に、愛されていなくてもいいやと受け入れている人は、愛されていない自分に欠乏感を感じることはなく、愛されていない自分として生きることが出来るのです。
欠乏を恐れてはいけません。
僕たちは完璧な存在ではないので、どこかしらが欠けた状態で生きています。
容姿が端麗ではないし、スタイルも良くないし、社会的地位もないし、給料も少ないしと、挙げだしたら枚挙にいとまがないくらい、そこら中が欠けているのが僕たちです。
欠乏していて当たり前。
だから、それを恐れていることは意味のないことなのです。
確かに全員から好かれずに、自分を嫌ってくる人だっていることでしょう。
全ての人が自分の価値を感じることは到底無理な話なのです。
欠乏した自分として生きることを決意するのです。
僕は高卒で、それがコンプレックスでもありました。
自分には学歴がないと、欠乏感に苛まれていたものです。
でも、ないもんはないんです。
欠乏しているもんは欠乏しているんです。
欠乏していることは決して悪いことではありません。
ただ、欠乏しているだけであって、そこに善も悪もないのです。
自分が、ないことは悪いことだと決めつけているから、それが欠乏感に繋がっているのです。
そして、その欠乏によって起こるであろうことを恐れることをやめるのです。
僕たちの欠乏感は、欠乏していること自体を恐れているのではありません。
欠乏していることによって起こることを恐れているのです。
僕で言えば、学歴がないこと自体は恐れることではなかったんです。
僕が恐れていたのは、学歴がないことで人に馬鹿にされること。
人に認めてもらえないこと。
そして人に嫌われること。
僕が欠乏感を生み出していたのは、根っこを辿るとこの感情だったのでした。
だから、受け入れたんです。
学歴がないこともそうですが、なにより、学歴がないことで認められない未来があることを。
学歴がないことで、馬鹿にされる未来があることを。
実際馬鹿にされること、自分から人が離れていくこともありませんが、この人に嫌われる勇気をもつことで、僕たちは欠乏感から解放されるのです。
まとめ
欠乏と欠乏感の違いは、事実と思い込みの違いです。
そして、欠乏感は欠乏を恐れる心から生まれてきます。
だから欠乏を受け入れることが出来なくて、自分を否定してしまうのです。
諦めましょう。
あなたが恐れていることが起こる可能性は残念ながらあるもの。
その恐怖から逃げるのではなく、その恐怖と真正面から向き合うのです。
嫌われたっていいじゃないか。
馬鹿にされたっていいじゃないか。
そういうときもあると、その恐れを受け入れたときに、人は欠乏感を手放すことが出来るのです。
あなたに必要なのは、少しだけの勇気。
少し勇気を出して、恐れと向き合ってみましょう。
必ず人生が変わっていきますよ。