こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
ここ最近、ありがたいことに人付き合いやカウンセリングの機会が増えたこともあり、自分自身の内省からでは見つけられないような気付きを得ることもあり、日々自分の成長を感じながら過ごしています。
さて、ある方をカウンセリングした際に、愛とは何かという部分を伝えさせていただきました。
人生がうまくいかない理由の一つに自身の自己愛性というものがあり、利己的に自分のことばかりを考えている限り不満は増え続け、いつまで経っても幸せにはなれないという話です。
今までは愛とは認めること、興味関心を持つこと、受け入れることなどだと伝えていたのですが、そのカウンセリングを通してこの感覚を言語化できたので皆さんに共有できればなと思います。
自己愛的になってしまい悩んでいる人はぜひ最後までご覧ください。
愛とは動機の方向性
愛とは何か。
それは、動機の方向性であります。
僕自身が考える具体的に愛を言い表す表現は上記のものになりますが、抽象度を高くして全てに共通する言い回しをするのであれば、動機の方向性だと表現できるでしょう。
多分ですが表現が抽象的過ぎて意味が分からないかと思うので説明させていただきますと、愛とは内側から湧き上がる情熱、愛情のようなものではなく、自分の行動の動機が自分と他人のどちらを向いているかという部分に着目した際に観測できるものになのです。
愛とは誰しもが持っているもの
まず理解してほしいのは、人に優しくできない人も、たとえ誰かを殺めてしまった人だとしても、愛を持っていない人はいないということです。
どこに愛が存在するのかという意見が飛んできそうですが、愛とはあくまで動機の方向性であり、それが自分に向いてしまっていると他人に対して優しくしたり、命を尊重したりすることが出来ないのです。
人は動機から欲求を生み、欲求から行動を生み出します。
この自分の行動を生み出している動機が自分と他者どちらの為かという部分に着目すると、自分が愛を持った人間なのか自己愛的な人間なのかが理解できるのです。
具体的に考えてみましょう。
例えば、あなたが恋人にもっとLINEの返信速度を早くしてほしいという欲求を抱えているとします。
でも、そんなことを要求するのは重いと思われるから伝えられない。
そういった部分でイライラやストレスを感じてしまっている人も多いのではないかと思います。
さて、この「返信速度を上げてほしい」という欲求は、どういった動機から生まれているでしょうか。
こういった欲求を抱えている心当たりがある人は是非とも考えてほしいのですが、あるパターンとしては「安心したい」という動機が隠れています。
返信速度が低いと好かれているか自信が持てないし、自分が愛されている確証が持てない。
だから返信速度を上げてもらうことで自分が愛されていることを改めて感じようとしている訳です。
愛とはという画像の中に「興味関心を持つこと」というものがありましたが、果たしてこの返信速度を求める人間の動機の方向性はどちらを向いているでしょうか。
相手に対して興味関心を持とうという姿勢は見えるでしょうか。
見えないですよね。
客観的に見て見えるのは、自分の欲求を満たしてほしいという、自分に対する動機の方向性です。
動機の方向性が自分に向いてしまうから、愛してほしいと受動的になってしまうから、愛ではなく自己愛になってしまうのです。
人に優しくできないのも、自分の損得を気にしているから。
人を殺めてしまうのも、相手の幸せではなく自分の一時の感情に支配されてしまうから。
全部全部、愛が他人に向いていないから起きてしまう現象なのです。
人を愛するために
愛がみな元々持っているものだとして、それが動機の方向性なのだとしたら、僕たちは意識をすれば人を愛せるようになるのではないでしょうか。
もしもあなたが他人を愛せるような生き方をしたいと少しでも思うのであれば、まずは自分の動機をコントロールしてみましょう。
自分の動機に目を向け、自己愛性の動機を見抜くことです。
自分のために○○してほしいという欲求は、自己愛的な動機から生まれています。
そういった欲求に従い続ける限り、人は自己愛性から抜け出すことは出来ません。
まずは、自分のために何かを相手に求める動機を見抜き、その動機に従わない生き方を選択しましょう。
そのうえで、相手に動機の方向性を向けていくのです。
相手に何をしてあげたら喜んでくれるのか、どうしたら相手は幸せになるのか、そういった視点を意識的に持って考えることで、愛のある行動がとれるようになっていくのです。
ここで大切なのは、心の底からの動機に従うということ。
例えば、相手に優しくしようと考えている本質的な動機が相手から好かれるためだった場合、これは結局自分のためになってしまいます。
そうすると、好かれるためにやった行動で好いてくれなかった場合に不満を抱えることになってしまうのです。
そうではなく、好かれたい気持ちは分かるのだけど、一旦その気持ちは置いといて、心の底から純粋に相手の喜ぶことに集中するのです。
相手の幸せにスポットライトを当てて、自分の損得には目を向けない。
これが、人を愛するためには必要なのです。
人を愛していたら損な生き方になると思うかもしれませんが、人の喜び自体が自身の喜びとなるので、全く損ではないのです。
そこに損失は一切生まれないのです。
自分の動機の中心点を常に相手とし、自分に向かないようにコントロールする意識をすること。
これが僕たちが人を愛するためには必要なことなのです。
まとめ
人生がなぜうまくいかないのか。
それは、愛を知らないからです。
人を愛せないから、自分自身も愛せず、苦しい人生を送っているのです。
だったら、人を愛せるようになった方が得だとは思いませんか?
別に俺は人を愛せなくてもいいと言う人もたくさんいます。
でも、心の奥底ではそれが正しくないことも本当は分かっているんですよね。
ただ、向き合うことがツラいから、そこから逃げてしまっているだけ。
良いんです。逃げたい自分も自分ですから、逃げてもいいんです。
でも、逃げたくない自分がいることを否定しないで下さい。
あなたは愛を持っています。
ただ、その方向性が違っているだけ。
行動すれば、訓練すれば誰にでも人は愛せるようになるのです。
あなたが勇気を出して行動することを楽しみにしています。