こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
僕たちはしばしば自分の劣等性に目を向けてしまい、劣っていることに深く傷ついてしまいます。
周りと比較し、能力が優れていない自分を認めることが出来なくなってしまうのです。
ですが、このブログでは何度もお伝えしている通り、自身と周囲を比べる必要はないですし、仮に比べて劣っていたとしてもそれは何の問題もないのです。
劣等性は断じてマイナスではなく、ただ劣っているだけなのです。
優れているところもあれば、劣っていることもある。
この当たり前の事実を、どうして僕たちはねじ曲がった視点で見てしまうのでしょうか。
もしかしたらその原因の一つは、物と人を混合しているからかもしれません。
そこで今回の記事では、劣等性をマイナス評価してしまう原因についてお話していこうと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
劣等性は悪いことではない
僕たちは他者と自分を比べては、自分の劣っている部分を悪いものだと認識し、心の中で自分自身を否定し、責め立ててしまいます。
全てが他人より優れることなんてできないのに、劣っているところがあって当たり前なのに、どうしてか劣等性を受け入れることが出来ないのです。
ですが、まずはその認識を否定させてください。
劣っていることは、悪いことではありません。
例えば、僕は長い間フリーターとして生活していました。
当時の僕にとって、社会的地位が低いとされているフリーターは受け入れがたい事実であり、悪いものであると認識していました。
確かに、世間一般の感覚では否定されることも多いフリーターですが、果たして本当に悪いことなのでしょうか。
なぜフリーターではダメなのか説明しようとしても、安定していないだとか、収入が低いだとか、そういった意見が出てきますが、仮に本人が満足しているのであればそれで問題ないと思うのです。
結局、他人の意見に踊らされて漠然とフリーターは悪いものだと認識させられていましたが、事実としてフリーターであり、事実として安定がしておらず、事実として収入が低いということはありますが、それが絶対的にダメな理由にはならないのです。
あなたが抱えている劣等感も、本当は悪いことではないのです。
確かに特定の物差しで他人と比べてみれば、劣っていることもあるでしょう。
しかしながら、それがあなたは悪い存在であり、責められるべき存在だという理由にはならないのです。
人と物は違う
どうして劣っていることが悪いという考えを持ってしまうのでしょうか。
勿論、周囲の環境による影響はかなり大きいと思います。
周りが劣っている部分を否定したり、嘲笑したり、責め立てたりすれば、僕らは傷つき、その劣等性がいけないのだと学習してしまうでしょう。
それ以外にも、僕たちは劣った部分をいけないものだと認識しながら生活していることがあり、その思考パターンが影響を及ぼしていることもあるのです。
それが物に対する評価です。
この椅子は、あの椅子よりも座りやすい。
このリンゴは、あのリンゴよりも美味しい。
僕たちは日常的に物と物を比較しています。
この、物の性能のみに焦点を当てた評価の仕方が、劣等性を否定するような思考を生み出しているのではないでしょうか。
そして、僕たちは人と物を混同してしまい、同じ視点で人も見始める。
だから劣等性を許せなくなり、苦しくなってしまうのです。
物というのはあくまで消費される側であり、だからこそ僕たちは性能だけに注視して評価をします。
より良いものを求めている僕たちにとってはそれが一番合理的な判断になるからです。
ですが、人は物ではありません。
人は消費される存在ではないのです。
だから、そもそも性能だけで測ろうとすることが間違っているのです。
人間には価値は必要ない
消費される物だからこそ性能だけで見られ、それが物の存在価値の善し悪しに直結してしまっていますが、人はそうではありません。
消費する側の僕たちにとって、そもそも存在に価値を求めることがナンセンスなのです。
確かに、僕たちが生み出す物に関しては、価値が生まれます。
しかしながら、それを生み出している僕たちに関しては価値は必要ないのです。
ただ生まれて、ただ死ぬまでに命を燃やし続けるだけの僕たちには、命の価値はあるとしても、人間としての価値を求める必要はないのです。
あなたは消費される存在ではありません。
誰かに好かれる、愛される、認められる。
こういった受動的な欲求を第一にしているから、消費される世界から抜け出せず、劣等性に苦しんでいるのです。
あなたは消費する存在なのです。
誰かを好く、愛する、認める。
こういった生き方をする上で、果たして劣っていることは問題なのでしょうか。
劣っていようが、劣っていなかろうが能動的に生きる上では、自分の価値は関係ないのです。
消費される側にいる自分に気づきましょう。
それ故に消費される物と自分を混同し、性能だけで自分を測るようになっている自分に気づくことが大切なのです。
消費する側は、劣っていようが何の問題もない。
それは、選ばれる側ではなく選ぶ側に立っているからです。
その自分の視点を意識して保つことが、劣等性の苦しみから抜け出すヒントとなるのです。
まとめ
劣等性を悪いものだと感じているのは、自分が消費する側ではなく、消費される側だと思っているからです。
だから物と同じように性能に目がいき、性能の低さに苦しんでしまうのです。
劣っているところがあって当たり前です。
全てが優れている人間なんて一人もいません。
だから劣っていたとしても、それで僕たちの価値が変わることはないのです。
人間が抱えている価値とは、生命としての価値であり、それ以上の価値はありません。
必要以上に自分の価値を追い求めることをやめて、消費する側の視点に立つことが人生では大切なのです。
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